本部前広場で開かれる集会では、共闘会議のリーダーだけではなく一般の学生も登場してアジ演説をしたものだが、その数も日増しに増えた。現在、テレビキャスターとして活躍している久米宏などもアジっていた。確か放送関係の研究会と学内の劇団に属していただけあって、活動家連中のよく聞きとれないダミ声と違って、発声からなにから大したものだった。
 私はそういう残虐事件がなかったんだということは決して言わない。なぜかといったら、全戦線を見てまわったわけでないんですから。自分の知った範囲ではまったくなかったということですから。同時代でも、その現場、現場でつかまえかたが違いますな。
 ロマンス Romance の語源を辿ると、西ヨーロッパにラテン語と土着語が混じり合って種々の方言が出来た時、それかロマン語 Langue Romanie と名づけられたという事実まで、さかのぼることが出来る。フランス語はロアル河を境として二つの方言に岐れた。ロアル河から南の地方では、肯定語の yes を oc という言葉で表現した。北方では oil(oui) といった。だからダンテは南方語を langue d’oc 北方語を langue d’oil と名づけた
オーディンはまたルーン文字(北欧の古文字)を発明しましたから、ノルンの女神たちは、その文字で一つの金属の盾に運命の神秘を彫りつけるのを仕事にしていました。Odin という名は一時は Wodin と綴ったことがありますから、水曜日 Wednesday すなわち一週の四日目の名はそれから来たのであります。
智を愛する人たちはじっさい、多くの事がらにたいする探求者であらねばならぬ
 どんな事があってもめげずに、忍耐強く、執念深く、みだりに悲観もせず、楽観もせず、行き通して行く精神──それが散文精神だと思います。
 広島に原爆が投下されるのも江田島から見ました。[…]
 八月になってようやく水泳の練習をはじめるというので、その朝カッターに乗って島の反対がわにゆきました。そちらが広島のがわです。服を脱いでふんどし一丁になって「さあ、海に入るぞ」と身構えたとき、ピカッと光ってあたり一面暗い紫色になりました。そうして二十秒くらいたったときでしょうか、すさまじい爆風がきて、吹き飛ばされそうになりました。上級生が「広島の火薬庫が爆発したんだ」といっていましたが、ただならない気配なので、とうとう海に入らないまま、また服を着て学校に帰りました。
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 きのこ雲といいますが、あんな形になったのはずいぶん後です。はじめは白い雲が空に向かって真っ直ぐに立っていました。それがだんだん崩れてきて、十一時くらいだったでしょうか、きのこの形になったんです。
 爆風はきましたが、音は聞こえませんでした。原爆のことを「ピカドン」といいますが、ドンという音は聞こえませんでした。ピカッという光は本当に暗い紫色でした。一面紫色になって、なにか自分の頭がおかしくなったような感じでした。
 「黒い雨」は江田島には降りませんでした。最近、ばくもだんだん髪の毛がぬけて頭が薄くなってくるので後遺症ではないかと心配しているのですが、あの原爆の被曝の範囲は半径五キロくらいだそうです。地図で測ったら、江田島は十五キロくらい離れています。だから、被曝者というわけにはいかないようです。
語族とはまったく言語学的な概念だから、民族とか人種とは関係がない。ヒットラーのように民族と語族を結びつけることは誤りであり、危険でもある。語族の認定には、一定の言語学的な方法による証明が必要であり、そこに民族が介入する余地はない。
OEDの歴史は、1857年にロンドン図書館の一室で開かれた言語協会でのリチャード・シェネヴィクス・トレンチの講演に端を発する。「英語辞典の欠陥について」と題されたこの講演で、トレンチは、辞典は手引きではなく、標準英語の内一定の期間使われた言葉を全て収録しなければならず、いわばその出生から死までを記録した、歴史的な原理に基づいたものでなければならないとした。また同時に、膨大な用例を集めるために、篤志協力者を募るという運営上の提案もした。
種族的、宗教的又は言語的少数民族が存在する国において、当該少数民族に属する者は、その集団の他の構成員とともに自己の文化を享有し、自己の宗教を信仰しかつ実践し又は自己の言語を使用する権利を否定されない。